天然キャラ
浅田美代子は、肩をぐるぐる回しながら言ったそうだ、「痛いのよ、脚が」。松本伊代は、番組で出版本を紹介してもらった司会者から「どんな内容ですか?」と聞かれて、「えーっと、まだ読んでないんですけど、面白いから買ってください」。具志堅用高はクイズ番組で「さあ、ラッキ-チャンスです。1~9の中から好きな番号を選んで下さい」と言われ、「じゃあ、ラッキ-・セブンの5!」
「天然キャラ」と呼ばれる中の一人に、元大リーガー投手・石井一久もいる。高校時代はサッカーが好きだったのに、「知らないうちに野球選手になってて、両親は喜んだけど僕は嬉しくなかった」。1991年に入団したヤクルトの主戦として約10年間活躍後、02年に米「ドジャース」に移り4年間で39勝34敗。06年古巣ヤクルトに戻った後、08年にライオンズに移籍したが、理由は「新しい友達を作りたかったから」。そして13年、日米通算182勝の生涯成績で引退。「もうすぐ200勝だったのにとよく言われるけど、なぜ200勝にこだわるの?182勝したんだから、よくないですか?」
ファンなら、もうひとつのエピソードを忘れられまい。1997年9月2日横浜ベイスターズ戦で8回までノーヒットノーランを続けていた彼は、8回終了後、ベンチで当時の野村監督に言った。「交代しましょうか」。さすがの野村監督も「アホッ!こんなチャンス、滅多にないんだから、最後まで投げて来い!」と叱咤し、彼はプロ野球史上65人目のノーヒットノーラン達成投手になった。しかし――。
「正直なところ、僕はそこに価値を見出せない」と石井は自著「ゆるキャラのすすめ。」に書いている。理由があった。彼は前年のシーズン終了後、利き腕の左肩を手術し、医師から「少しでも長く選手生活を続けたいなら、1試合の投球は100球までに抑えるように」と助言されていた。そしてあの日、8回終了時で投球数は107球。
「無理をして一時的に上がる自分の評価より、シーズンを通じてチームに貢献すること。そちらの方が僕にとっては価値のあることだったから」と書いた文に、彼はこう小見出しを付けた。「全力バカではいけない」。
ほかに、▽手を抜くことを恐れない ▽憧れもライバルも必要ない ▽環境は自分仕様に整える ▽アドバイスは真剣に聞かない—-等々。
“石井語録”を読むと、「天然キャラ」にごまかされそうな自分の迂闊さを知る。
2015・7・21 レーダーより