平成から令和への忘れ物
かくして平成の30年113日が終わり、令和の世に移った。歴代125天皇のうち、最長在位が昭和の62年、次が明治45年で、平成の30年余は11位。平均が15年弱だから長期在位だったといえよう。
平成時代は戦争こそ無かったが、総じて右下がりののち横這いで不安・不満感が蔓延。特に平成元年は、バブルのピークと崩壊が同時に起こった異例な年。4年前のプラザ合意で円高誘導を強いられ、対応措置の緩和策総動員が異常なバブルを派生し、脆くも崩壊。以後の不況蔓延で10年後には株価が8割方下落、金融界で破綻が相次いだ。官民の復興努力にもかかわらず、デフレ不況から抜け出せず、今日に至る。他の悲喜交々共々、総じて波乱・激動の時代だったと云えよう。この結果平成期に解決すべき重要案件が未解決に終わり、令和へ持ち越された課題が山積。今回は主要なものを再確認したい。
まずは政治で、議員の質の低下と議会審議の停滞が顕著。過剰・不要な議員が徒党を組む派閥から、資質の劣る議員が当選順に要職に指名されては頻繁に更迭された。各種委員会でもテレビ映りを気にする見物議員が首を揃え、時間と国費の空費は立腹もの、選挙制度の見直しや議員定数の削減はお題目ばかりで本気で取り組む気がない。国民は非効率な政治を是正すべく、厳しく声を上げるべし。アベノミクスは、功より罪の側面が表面化し、新基軸もネタ切れで不安・不満の源になっている。日銀依存の財源捻出が財政再建の意欲を削ぎ、新たな政策も満足に打ち出せない。
官僚も国家の公僕としての気概や責任感が希薄化している。人事権を官邸に握られて、以前の世界に冠たる官僚の気迫が減退した。再度個別官庁の自主性を尊重し、官邸は側面からのチェック役に回るべきではないか?
経済面では、企業がバブル崩壊のトラウマからか意欲・気力を欠く。旧態然のパイの拡大やシェア争いの時代は過ぎ、生産・投資効率至上の時に、人手不足だのコスト高だの不満ばかり。内部保留の確保に汲々で、ベアを渋っていても活力も生まれぬ。
社会面では、人不足の中でベアを渋る企業のお陰で、共働きが常態化。結果、育児・教育、更に保育施設不足等の社会問題にも発展した。企業サイドが賃金の二重構造拡大を助長している。
令和時代には、平成から持ち越された宿題を、AI・IT・先端医療等の手法を駆使して解明・解決し、また人心安寧への対応を期待したい。幸い日本人には、先端レベルの優秀な知能と高度の技術力がある。そして何より今般、これらの研究・改革活動を自由に行える、社会体制の継承が恙なく行われて、まずは祝着。
(東京宅配便コラムより)