十年区切り
新たなる1年の始まりは、新たなる10年の区切りでもある。
孔子の論語の有名な一節に「子曰く、吾 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず」がある。
つまり「私は15歳になったとき、学事に心が向かうようになった。30歳に至って独りで立つことができた。やがて40歳のとき、自信が揺るがず、もう惑うことがなくなった。50歳を迎えたとき、天が私に与えた使命を自覚し、奮闘することとなった。60歳ともなると、他人のことばを聞くとその細かい気持ちまでわかるようになった。70歳、自分のこころの求めるままに行動をしても、規定、規範からはずれるというようなことがなくなった」の意味だ。
特筆すべき点は30歳以降、10年単位で自己の心の成長を評価している点にある。
学生の頃、この一節を学んだとき、40歳になれば人生において惑うことなどなくなるのかと思っていたが、40歳を迎えても不惑の境地に至ることなど到底できず、40代も半ばを過ぎたというのにいまだ迷いながらの日々である。
年の始め、過ぎ去りし10年を振り返り、自分にどんな成長があっただろうか?と考えてみる。孔子のような次元に到着することができなくとも、なにかしら成長や成熟ができたはずだ。しかし過ぎ去りし10年よりもずっと肝心なことは、これからの10年である。果たして10年後、自己の成長を評価することができるか―――確かなことは、今日一日をどのように過ごすかで、その積み重ねにより10年後の自分がつくられる。つまり、どんな10年後を迎えるかは、これからの自分次第である。そのためにも、心に夢を描き、それを糧に自己の成長を促し、未来を切り拓きたいものだ。
流通評論家の故吉田貞雄氏の詩「夢の八訓」はその励みにもなる。
“夢のある者は希望がある 希望のある者は目標がある 目標のある者は計画がある 計画のある者は行動がある 行動のある者は実績がある 実績のある者は反省がある 反省のある者は進歩がある 進歩のある者は夢がある”
たとえ今、10年後の未来がおぼつかないものであったとしても、夢を描くことができれば未来は変えられる。
<レーダーより>