コロナ危機
大きな危機に直面すると、この国の政治の貧困が改めて浮かび上がる。悲しいことだが、2011年の東日本大震災しかり、今回の新型コロナウイルスまたしかりだろう。
東日本大震災では、巨大津波の甚大な被害に東京電力福島第1原発の事故が加わり、
当時の民主党政権が迷走。このコロナの危機では、「スピード感」を強調しながら、経済支援など政府の対応が後手に回り、批判の声が上がった。
当初から不評の「アベノマスク」全世帯配布や、方針が急転した「一律10万円給付」も、いまだに国民に行き渡っていない。
そうした批判の背景には、政治に対する国民の信頼がもともと薄れていたこともあろう。今回もコロナ感染が広がる前、首相主催の「桜を見る会」の問題や森友問題など、安倍政権の信頼性を揺るがす問題が積み重なっていた。
危機対応をうまくやれば、これまでの“失点”を取り戻すこともできるが、そうでなければ、ますます信頼を失うことになりかねない。
今回はコロナ対策とは無関係の東京高検検事長の定年延長と検察庁法改正案、賭けマージャン問題でも政治不信が募り、内閣支持率下落につながった。
一方、コロナ危機の対応によって国民の信頼を高めた世界のリーダーの1人がドイツのメルケル首相だろう。
ドイツ在住の作家、那須田淳氏によると、メルケル氏が3月中旬に行ったテレビ演説が、コロナ禍に立ち向かう国民の意識と行動を一変させたという。民主主義社会での行動制限は本来あってはならないが、今は命を救うために不可欠だと説明し、この危機を終わらせることができるかは私たちにかかっているなどと訴えた。
経済支援にも触れ、必要なものは全て投入すると約束し7500億ユーロ(約90兆円)に上る対策を早々と決定。文化相は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要」と断言し、助成金を支給している。
メルケル氏や閣僚らの発言によって、国民は国が生活を守ってくれるとういう安心感を得たという。
日本で近年、政治家の言葉が国民に安心感や政治への信頼感を与えたことがあるだろうか。残念ながら、ドイツと日本の違いを痛感せざるを得ないのが現状だろう。
国民の「信」がなければ、政治を行うことはできない。危機的な状況なら、なおさらだ。
コロナだけでなく、日本の政治の貧困を“収束”させることも急がれる。
<2020.6.9北日本新聞社説より>