人は丸くなるだけか
年齢を重ねると、人は角がとれて丸くなるといわれる。若い頃の尖ったところが削がれ、自己中心的な考えから協調性がみられるようになり、良識的な人間へと変わっていく。そうなると周りの人は近づきやすく、社交的な性格になって友達が増えるかもしれない。年をとるというのは運動機能が低下して、シワが増え、髪が薄くなるだけではない。老いとは知恵と経験を蓄えることと理解したい。老化をあえて肯定する東洋的価値観を根底に置かなければ、この先の超高齢化社会は苦行に満ちた世界になってしまう。成長ではなく、成熟社会。日本もすでにそういうステージにある。
とはいえ、加齢によって脳の機能が衰えることは否定できない。認知症というのは病名ではなく、認知機能が衰えて日常生活に支障をきたす状態をいう。総務省統計局によると、2025年の総人口に占める65歳以上の人口構成比は30%で、後期高齢者といわれる75歳以上は17.8%。2040年には65歳以上が35.3%、75歳以上は20.2%を占めると予測する。あと18年もすれば5人に1人が後期高齢者となり、日常生活の不安が強まる。後期高齢者のすべてが認知症ではないが、社会が高齢者を軽視しないとは限らない。すでにその兆候はある。
携帯電話はスマホが主流で、ガラケーは機種によって使えなくなる。スマホに替えれば、テレビ電話ができ、現金を使わずにキャッシュレス決済ができるなど機能は豊富にある。その一方で、誤操作しやすい、バッテリー消費が早くて充電がわずらわしいといった短所もある。世の中はスマホを前提にした社会システムへと進行しており、操作できない「スマホ難民」の暮らしが、今後どうなるのか心配だ。高齢者ドライバーの運転問題もある。ブレーキとアクセルを踏み間違う事故が多発する中で、免許を返納すれば解決するのだろうか。公共交通機関が充実しているのは大都市だけであり、車なしには出歩けない高齢者への対策が待たれる。
健常者と認知症の人との境界は、実は曖昧であり、振り込み詐欺の問題だけではなく、ビジネスの上で高齢者とのトラブルは今後も増えるであろう。証券会社などが高リスク商品を高齢者の理解のないまま契約させるケースもある。「耳の遠い人への話し方は、どのようなものが最適か」「認知症の人を支えるケアシステムはどうあるべきか」「誰もが使いやすいデザインとは」―——柔軟な若い人のアイデアに期待したい。
<レーダーより>