わたしがここにいること
「復興を支えたい」。岐阜の浅野撚糸が2023年4月、遠く離れた福島県双葉町に新しい工場を建てたのはこの代表者の一言に尽きるだろう。双葉町は津波と原発事故の二重の苦しみを味わい、ゼロの状態から必ず立て直すという不屈の戦いを抱くマチだ。
マグニチュード9の巨大地震が東北の太平洋沿岸を襲ったのは14年前の3月11日。
金曜日の午後2時46分。そしてかつてない最高レベル7の福島第1原発事故。避難指示を受けて他県に避難した子供たちも少なくないが、風評被害から転校先でいじめを受けた事例が、当時相次いで報告された。「放射能がうつる」「汚いからこっち来るな」。家族には「心配をかけられない」と黙っていた子供もいたという。
NHKが実施したアンケート調査がある。福島・宮城・岩手の沿岸と原発事故による避難指示が出された地域に住む、20代から50代の人たちに「将来にわたって地元に住み続けたいか」と聞いたもの。結果は「住み続けたい」「どちらかといえば住み続けたい」が約8割にも及んだ。甚大な被害に遭っても苦しい生活状況下でも住み続けたい理由で最も多かったのが「土地に愛着があるから」だった。
地元紙「福島民報」に昨年載ったコラム欄で、復興に向けたある女性の思いを紹介している。(原文のまま)―――わたしは、双葉町の浅野撚糸に勤める19歳の女子社員。カフェで接客を担当し、訪れた皆さんを、温かなコーヒーでもてなしています。館内では糸を撚り合わせる機械が忙しく回る。「きょうも、張り切って」。無言の励ましを受けているよう▽いわき市小名浜で生まれ育った。大きな揺れを忘れはしない。幼稚園の中にいた。逃げ出たお庭は割れ、水が噴き出していた。友達と泣きじゃくった。小学校の入学式は延期され、給食は出なかった。「古里のお役に立ちたい」と思うようになったのはいつ頃からだろう。この会社でなら、と選んだのが今の職場だ▽今年初め、高校生の視察を受けた。同じ世代として説明役を任された。突然、質問が飛んだ。「復興とは何でしょうか」。とっさに口をついて出た。「わたしがここにいること」。この手で建物を造れる訳ではない。でも、何かお手伝いはできる。不便を感じる時もあるけど、双葉で暮らし、働き続ける。決意は揺るがない▽女子社員の言葉はSNSを通じて全国に広がり、共感を呼んだ。今いる場所で踏ん張る県民176万人の思いを撚り合わせよう。太く強い復興の糸になる。
<レーダーより>